ピーター・モンダヴィ・シニア氏の思い出

Words: Sam Wittwer

2016月3月20日

サクラメント・ヴァレーで育った私は、小さな頃からモンダヴィ家の名前は至るところで目にした。彼らのワインは家族や親族の集まりには必ずテーブルの上にあったし、近所のスーパーマーケットのワイン売り場にはエレガントな看板が掲げられていたし、家族旅行で80号線をドライブすれば彼らの有名なワイナリーを目にした。モンダヴィ・ブランドのワインとモンダヴィ一族は、まるで背景のようにいつも身近なところで存在した。

それから何年も経過した今年、またモンダヴィ家の名前を耳にした。それはピーター・モンダヴィ氏が亡くなったという悲しいニュースだった。ワイン造りに革命を起こしたピーターの101年間の生涯は、大変意義深いものだった。ボロネーゼ・パスタにぴったりのカベルネ・ソーヴィニヨンを、私たちがこうして楽しめるのも彼の功績のおかげと言えるだろう。

イタリアからアメリカに移民した父チェザーレと母ローザの間に、兄のロバートが生まれた翌年の1914年にピーターが生まれた。一家は、1920年代にカリフォルニア州のローダイへ転居し、チェザーレはそこでワイン用ブドウの輸送会社を興した。そんな家庭で育ったピーターが最初に就いた職は、父親の会社でブドウの出荷作業だった。

第二次世界大戦で軍務に就く前に、ピーターはスタンフォード大学で経済学、そしてUCバークレーで化学を学んだ(現在この二つの大学はライバル校であるため、両大学で学ぶ人はとても珍しい)。帰還したピーターは、家業に戻り兄の勧めによって父が買収したチャールズ・クリュッグ・ワイナリーでワイン製造を担当した。カリフォルニアのワイン製造技術を発展と、ナパ・ヴァレーをワインの名産地としての知名度を確立させた中心人物こそがピーターなのだ。

低温発酵の研究、高度なろ過技術、そしてフランス製のオーク材樽での熟成。これらはピーターが成し遂げたことのほんの一部だ。粉骨砕身してカリフォルニアワインのために尽くした彼をナパヴァレー・ヴィントナーズ協会は、「ナパヴァレーの12人の生ける伝説」に選んだ。しかしながら、このような栄光は兄ロバートとの確執によって目立たないことが多かった。ふたりは性格の不一致により仲たがいし、ロバートは60年代にモンダヴィ家を追放された。その後、ロバートはすぐ近所にロバート・モンダヴィ・ワイナリーを設立した。カリスマ性とビジネスのセンスを持ち合わせたロバートがモンダヴィ家の名を広めたため、私を含む多くの人が「モンダヴィ」という名字やワイナリーの名を至るところで目にしたのだ。

チャールズ・クリュッグ・ワイナリーに残ったピーターは、彼なりのペースとやり方で、ナパ・ヴァレーでもっとも評判の良く、立派なワイナリーとして成功させた。そして、今でも家族経営を貫いているという貴重な存在だ。ロバートとピーター兄弟は、カベルネが十分熟成するほど長い年月を経て、2005年にようやく和解した。

チャールズ・クリュッグ・ワイナリーの経営はふたりの息子たちであるマークとピーター・Jr.が担っている。このふたりの息子たちに加え、娘にシエナ、9人の孫、ふたりのひ孫たちに看取られ、彼は101歳の生涯を終えた。